📕 日記

2022-02-02 14:34:00

- 徳を積む 

「福徳」「功徳」や「ご利益」といい、現在、また未来に幸福をもたらす善い行ないとあります。「美徳」それは、現代の哲学的思想の中心的存在でもあり、古代ギリシャから現代に至るまで人間が成長するうえで道徳的性格として最も重要な基盤だといわれいます。


20代前半、半世紀ぶりに訪れた墓石がありました。お墓参りに行くまでは、荒れ果て朽ちているのではないかと不安でいっぱいでした。その前にこの「墓参り」文字に起こすとなんか奇妙ですねwww 石を参ってどうすんねんw 石屋が喜ぶだけですねw 

え~さて、半世紀ぶりにご先祖様へ挨拶に出向いて驚いたのは、墓石も敷地も手入れが行き届いていたことでした。いろいろ話を聞くと、その昔、当家のご先祖様がその地域で疫病が流行れば看病するために私財を投じたり、食料不足の折には食料を調達して地域の方々へ配っていたそうで、そういう話を代々聞かされていた方々が恩返しにと墓を護り続けてくれていたのでした。

この話を聞いた時「仏に出会った」そう思えた瞬間でした。ちょうどこの頃は、仏像は架空の物で実在しない偶像だと知り、それまでの信仰が音を立てて崩れ落ち「仏」探しに目覚めた時期でした。「仏」それらしくありながら、はっきりみえないさま。ほのか、かすか。

仏から教わったものに「功徳」がありました。徳を積むという行為は、今日善い行いをしたから明日善い結果を得られるようなものではないということです。長い年月をかけて、その徳が偽りでないかどうか、こちらからはみえない仏があちらからはずっとみているということです。そして、徳を積んだ結果は、子や孫、他人に幸福として降り注がれるということです。

オレガ、オレガと我の強い方には、仏から降り注がれる徳がみえず、己の我の強さでその徳を振り払ってしまっているようにみえます。もったいない!!

スタンフォード哲学百科事典 

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