📕日記
To communication
言語からのコミュニケーションはなかなかハードルが高いのとちゃう?といつも考えてしまいます。海外にいてる時は出来るだけ日本人を避けて接触しないようにしていたのは、言語中枢がマヒしてしまうからなんだと思います。そういう意味では同時通訳の人達はすげーなと感心してしまいます。
京都の時もそうですが横浜でも海外からお見えになる方は母国語しか話しません。普通、旅行先の国の言葉で話したいというツーリストならそうなると思うのですが、彼らはそれがありません。こちらも数少ないボキャブラリーを駆使して単語の羅列で応戦しますけど、意思の疎通はできてしまいます。
西インドグジャラートでは、ホームステイ先のホストのお姉さんが、ヒンドゥー語・グジャラート語で連射砲のように浴びせてくるのですが、最初は理解しようと頭が働きますが意味はさっぱり解りません。その内、頭の思考は停止して感覚で理解しはじめていました。そうすると何を言っているか理解できるようになります。
そこのお父さんからも「君、ヒンドゥー語分かるの?」とビックリされたことがありますが、分かるようになってくるんです。そのお姉さんのご主人は西洋医学のドクターなのですが、「これが私流のやり方、ヒンドゥー語は難しい言語ではありません、子供でも話せます」「アーユルヴェーダと同じです」
日本は他国に比べてそこまで警戒心をもつ必要はないのかもしれませんが、それでも海外です何があるか分かりません。それなのに今日の彼等もそうですが、皆さん警戒心ゼロですw 海外で爆睡してしまって金品奪われたらどうすんのやろ?と、寝顔を見ながら結構マジで心配してしまいましたw
それくらい、人に身体を預けて意識を停止させてしまうアーユルヴェーダの力に驚くと同時に、これが究極のコミュニケーションなんだなと改めて感じいっています。
京都アーユルヴェーダ
ルードラ・アロジアム・ジャパン
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