📕日記
執刀医
なんと日付変わって4月1日、京都の男前ドクターからエイプリルフールネタのようなご予約が飛んで参りましたw 「僕の執刀医としてよろしくw」「最近ご無沙汰なんで」「週末行きます」と先ほどメッセがw
またまたおもろいせんせーが来てくれはります。日記公開前提でお話をさせてもらったら「晒されたいです」って、ほんま、どんな表情していつも仕事してはるんやろと想像してしまいます。まあまあイケメンは何やっても許される世の中ですけどw
まだ若いお父さん先生なんですけど、いろんな相談をさせてもらったのをつい先ほどのように思い出してしまいます。「ここは先生達も多いでしょう?先生達も大変やねん」と、それ以上は何も話しませんし、こちらから伺うこともしませんけど、
とても重みのあるひと言やと思います。少し長くなりますが、宗教と哲学について語ってから寝たいと思います。どうぞ、適当にお付き合いくださいw
「結局、宗教って哲学でしょ?」「宗教という名の哲学」「そんなの必要なし」という文字をここ数年ネットなんかでも良く見かけます。発言者は余程賢いのか、余程勉強熱心なのか、よう自分なりに解釈したはります。素晴らしいですね。
『哲学』これを中学1年の時に、背の高い女子のお兄さんかなんかが医学部の学生でそのお兄さんから聞いたという「哲学とは、宇宙の根本原理に基づいて考えられた考え方」とさらっと言ったのを記録して、くぅ~かっこええなこの女子!に憧れて
未だに覚えているという「哲学とは」なんですけど、あれれ~?!宗教は哲学と優秀な人達は言い切ってますけど「考え方」がはっきりと解る形でまとめ上げられているのだとすると、わざわざ、真理を探究することも、仏教徒のように追体験する必要ないですよね~。
あれれ~?!何時から宗教は哲学にすり替わっちゃったんだろう。世界三大宗教と云われるものには、戒律や決まり事があります。破ってはならない誓いのようなものですけど、これは我々聖職者から一般の人達を守る為の厳しい掟な訳ですけれども、
そこに哲学なんか無いと思うんですけど。『慈悲深くありなさい。奉仕をしなさい。神仏に帰依しなさい。』←これのどこが哲学的なんでしょうかw 宗教とは実践あるのみ。だと思います。え~さて、最近ご無沙汰というドクター、なにがご無沙汰なん?と
問いただして差し上げたいと思いながら、早いもので、もう四月になってしまいました。当に「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」にございまする。京都アーユルヴェーダ
ルードラ・アロジアム・ジャパン
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